日本刀鑑定の今昔

近年、テレビ番組の”なんでも鑑定団”なる番組に人気が集まっていますが、書画・骨董・刀剣・収集趣味に関する鑑定の難しさは多くの人々の理解を得て識者も増え、喜ばしさも感じます。

そもそも日本刀の鑑定学なるものは、長い歴史が刻まれてきました。何時ごろから始まったかは定かではありませんが、現在残る最も古い初期の形のものとして(銘尽)観智院本(重要文化財)国立公文書館蔵があります。 これは幾つかの刀剣銘尽を集めたものですが、平安時代から鎌倉末期までの名工の特色が書かれています。日本刀の草創期から完成期あたり史上最も優れた太刀、短刀が作られた時代です。

私の住む京都洛北の鷹ヶ峰の地を徳川家康より本阿弥光悦に賜り、平成の現代まで芸術村として四百年守られておりますが、室町時代から本阿弥家が代々将軍家の下で研磨と鑑定を職として、本家宅に於いて依頼された刀剣の鑑定を合議制で行い、結果を折紙として、又は鞘書として其の刀の正真、極、価値を明記、証明され幕末まで続けられました。 明治以降も本阿弥家の研磨と折紙は続けられ、内容的には時代が下がるにつれて、折紙、鞘書をかかれた人、時代、世相により変化はしていますが今も活躍されておられます。

本格的に自由化されたのは明治以降で、愛刀家の先輩諸氏の方々の研究成果を本にしたり証を発行したりする事で、我々の勉強の資料にさせて頂ける時代になってきました。 書画、骨董の偽ものと同じで刀剣も引けをとりません。 日本刀1000年の歴史の中で造る現場を見ずして判定を下すという事は、いかに困難か多くの悲喜劇を産みだしています。

昭和20年の終戦を境に日本刀は武器から美術刀剣として大きく変わりました。 本間順二博士、佐藤寒山博士を中心に日本美術刀剣保存協会が発足、保存、鑑定を事業の柱として現在に至り中心的存在となっています。

日本刀は鎌倉時代に二回の元寇の襲来や室町時代の鉄砲伝来で、使用目的や環境の変化で大きく動いていますので、鑑定家お一人お一人の判定結果が同じにならない難しさがあります。 本阿弥家が江戸初期にとった合議制に近い形をとっているのが日本美術刀剣保存協会かと思われ、自然の流れとして現在、鑑定は日本美術刀剣保存協会へ集中しているようです。 私も愛刀家60年を自負していますが、鑑定に至っては昨今の科学技術の進歩の前に出会う度に悩ませられる限りです。

日本刀に限らず時代を読む、奥の深さは永遠の物かと思います。 以上、これは京都刀剣販売”武士屋”の店主である私の持論です。